だから僕は、今日もピアノを弾く。

作家: 中野 美夢(なかの みむ)
作家(かな): なかの みむ

だから僕は、今日もピアノを弾く。

更新日: 2023/06/02 21:46
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本編


今日はこのあともう少し仕事があるけど、やっとひと段落。
 
事務所の一室を確保して、軽めの夜ご飯とピアノの準備をする。 みんなの前では、ピアノ弾くの久しぶりだな。なんて考えながらカメラをセットして、ひとつ深呼吸する。

僕は、生配信スタートのボタンを押す。


『はい、皆さんこんにちは~! 今日は久しぶりにピアノとか弾いたりしながら、生配信したいと思います♪』


今日も僕は、あの日君がほめてくれたピアノを弾いたよ。


「それなら僕はずっと、ピアノ弾くよ。どこにいたって弾いてれば、君に届くかもしれない。 聴こえるかもしれない…ね?」

10年前の僕が幼いなりに精一杯交わした約束を、今日も守っているよ。

届いていますか?聴こえましたか?



「ほら、持ってきたわよ」

と言いながら、ママが病室に入ってきた。家から僕のゲーム機を持ってきてくれた。

「やっったぁー!!ありがとう!! 僕の大事なゲーム機ちゃん♡♡♡」

ゲーム機を抱きしめて喜ぶ僕に、母は諦めたように苦笑い。

僕はきのう、学校の帰り道に変な転び方をして、足をケガした。せっかくの夏休み初日から、まさか初めての入院だし、理由がカッコ悪い。来週は10才の誕生日だというのに…。

骨折までとはいかないけど、変なひねり方をして5日も入院なんだって。やんなっちゃう。今日だって本当は、友達とゲームする約束してたのに…。

それから、丸1日ご飯とおやつの時間以外は、白いベッドの上でゲーム三昧。最高だけど、そろそろ歩く練習も始めなきゃいけないらしい。今朝検温にまわってきた看護士さんに、少し廊下を歩いてみるように言われた。

よし、お昼ご飯もたくさん食べたし少し廊下に出てみるか…。

2日ぶりに歩くから、さすがに少し慎重に病室を出て、廊下を壁沿いに歩いてみた。ナースステーションまでたどり着くと、その正面に待ち合いスペースがあった。

あ、こんなとこあったんだ…。

僕は、そこの椅子で少し休憩してから病室へ戻ろうと思って、何かに引き寄せられるように待ち合いスペースに入った。

「…あ!!」

病院なのに、思わず大きい声を出してしまって慌てて口を押さえた。そして数歩後戻りして、ナースステーションにいる看護士さんに勇気を出して声をかけた。

「すみません…あのピアノ、弾いてもいいですか?」

今は真夏だから何もないけど、小児科だから冬にはここでクリスマス会とかをやるらしい。

ピアノの蓋を開けて、椅子に座り、ひと息深呼吸。2日ぶりに触る鍵盤が愛おしい。自然と指が動き出す。あぁ、ゲームもいいけどやっぱりピアノも楽しい…。


『♪~...♪*゚~♪』


ふぅ、夢中で弾いちゃった♪パタンと、蓋を閉じる。すごく気分転換になったな、自分の病室へ戻ろう…

と思って立ち上がって、始めて人に見られていたことに気付いた。

あ、恥ずかしい…僕と同じ入院中の格好をした女の子が1人、立ったままこちらを見ていた。

「ピアノ、上手なのね」

その子が言った。僕もひとことだけ

「うん、1年生から習ってるんだ」

と答えて、できるだけニコっとして、お互いに病室へ戻った。



次の日、僕は何かに期待して、せかせかとお昼ご飯を食べ終えた。きのうと同じ時間にピアノを弾いてみよう。もしかしたら、もう君がいるかもしれない…なんて思いながらピアノまで向かった。

でも、ひとしきりピアノを弾き終わっても、今日は君は来なかった。

今日も上手だって言ってほしかったな…と思いながら、明確に君の病室も知らないのに僕と反対側の廊下の方を歩き始めた。

ううーん、わからなかったらすぐに戻ろう。

覗き込むわけにもいかないから、きのうの君のひとことのあの声の記憶だけが頼り。

「ごちそうさまでした!」

と、元気な声が聞こえた。違う、君じゃない…そのとき、

「…もういらない!」

という今にも泣きそうな声が聞こえた。…君だ!思わず声がした方を向く。病室の扉が3分の2くらい開いていて、ベッドの上でやっとこの時間にお昼を食べ終えた君が見えた。

君は、たくさんの薬を飲んでいた。

来週10才になる僕でも、それが何を意味するのかはわかった。

僕は声もかけられず、そっと引き返して自分の病室へ戻った。



次の日、僕の入院5日目。
つまり今日はもう、退院の日だ。ママが会計に行っているあいだに、最後にピアノを弾きに待ち合いスペースへと向かう。

君がいた。僕が自分の服を着ているのを見て君が言う。

「退院なのね、おめでとう」

僕はなんて答えればいいかわからず、

「うん、ありがとう」

と言ってピアノを弾き始めた。君は少し離れた椅子にちょこんと座り、
僕のピアノを聴いていた。

『♪~...♪*゚~♪』

弾き終わり、パタンと蓋を閉じる。君の方を振り向くと、にこにこしていた。

「わたしはね、いつ退院できるかわかんないんだ。10年後は、生きてるかもわかんないんだって」

にこにこしたまま、穏やかに君が話す。

「ピアノ上手よね、ずっと聴いてたいのに」

やっと見つけた言葉で、僕も答える。

「それなら僕はずっと、ピアノ弾くよ。どこにいたって弾いてれば、君に届くかもしれない。聴こえるかもしれない…ね?」


それを聞いて、君はさっきより
キラキラと笑ってくれた。君がそこで笑ってくれたことで、救われたのは僕の方だ。



あれから約10年。

今でも思うけど、10才目前にしては僕、かっこいいこと言ったよね。ピアノを触るたびに思い出して、ひとりで笑ってしまう。

今日も僕は、あの日君がほめてくれたピアノを弾いたよ。

届いていますか?聴こえましたか?


配信中、波のように流れるコメントの中に僕は君のヒントを探してしまう。ただ、そこにいてくれたらと願うから…。


『はい、そろそろ時間がきてしまいました!残念だけど今日はこのへんでおしまい♪また、たまにはピアノも弾きながら配信したいと思います!皆さんまたお会いしましょうー!バイバーイ!』


配信をとめて、ひとつため息をつく。もちろん今日も、君のヒントは
見つからなかった。

もし、もう同じ世界にいなくても、ピアノの音なら…届くよね、聴こえるよね?

君が想像した形とは違うかもしれないけど…僕は今日も、ピアノを弾いているよ。

この世界のどこかに、君の面影を探して。

だから僕は、今日もピアノを弾くよ。
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